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2015-03-03 00:01    男性長財 布ラ ンキ ング
「どういう用件で行かれたのです?」 「刑事さん。これは何かの訊問ですか? 私は車を盗まれた被害者のつもりですが。あなたがたは盗難車を発見して、届けにいらっしゃったんじゃありませんか?」 「そうです。でも、あの車は、まだお返しするわけにはゆきません。今朝、多摩川の堤防下に放置されていたあの車の中から、伊吹さんの死体が発見されたのです。あなたがどういう情況に立っているか、おわかりですね?」  原田は、物憂そうな口調で説明した。  首に赤と黒のストライプのネクタイをきくつ締められた男の死体が発見されたのは、七月二十七日の早朝である。神奈川県川崎市登戸。ふだんは鮎釣りやボートで賑わう多摩川の堤防下の草っぱらの中に、その車は放置されていた。朝、ジョギングをしていた近所のサラリーマンが、早朝から放置されている車を不審に思って覗いたところ、リアシートに絞殺された男の死体が転がっていた。  車は新車。ニッサン・レパード。ナンバーから、一週間前に大田区内の地元警察に盗難届がだされていた大田区田園調布四丁目、鳴沢秀彦のものと判明した。  絞殺された男の死体は、夏なのでかなり痛みが進んでいた。所持品から、東京都中野区松ケ丘三丁目、通称、哲学堂下とよばれる地域のサニー・ハイツ・マンション三〇六号室に住む伊吹敏男、三十九歳であることがわかった。死後約一週間とみられる。  被害者の評判は、芳しくない。一時期、硬派の評論を書いたり、有名なタレント宝泉寺颯子と結婚したりして話題をまいたが、「財界ウイークリー」という薄っぺらな広告雑誌を主宰する総会屋まがいの情報屋であった。部屋を検《あらた》めたところ、机の後ろで争った形跡があり、毛髪や着衣の釦など、遺留品が残されており、その室内で絞殺されたとみられる。  卓上のカレンダー式メモ帳の七月二十日夜の項に、東北観光秘書室長・鳴沢秀彦氏来訪予定、というメモがある。七月二十日夜、といえば死亡推定日時と、ほぼ一致する。  死亡推定時間と、盗難車のことが判明したのは、今日の夕方になってであった。川崎署と中野署の合同捜査官は、首をひねった。一方は殺人。一方は盗難車。田園調布と哲学堂下。両方の犯行現場に、鳴沢秀彦の名前が浮かびあがってきたことになる。  しかも被害者の部屋から検出された指紋のうちの幾つかは、車に残されている鳴沢秀彦のものと思える指紋と一致した。盗難車の被害者が、即、伊吹敏男殺しの犯人とは断定できないが、この濃厚な相関に田園調布署の原田たちも担ぎだされ、鳴沢秀彦から事情聴取をすることになった。 「ま、そういうわけです。答えて下さい。あなたはどうしてその晩、伊吹敏男さんの部屋にお行きになったのでしょう?」  ヴィーナスをめぐる脅迫劇のことは、徹底的に隠し通さなければならない。経過報告をきいている間に、秀彦は少しずつ落着きを取り戻していた。  三人の男が、応接間に坐ったことになる。  お茶でもいれましょうか? と秀彦はきいた。 「いや、いりません。説明して下さい」  はい、と秀彦は答えた。「ご存知のとおり、私どもの会社はこの一年、JR宮森線の問題や新幹線用地問題等で、一部ジャーナリストの間で、取沙汰されております。フリーライターの伊吹さんもその問題で、橋場会長にインタビューを申し込まれておりましたが、会長がお忙しいので、秘書室長の私が、かわりにそのインタビューに応じようということになっていたのです」  秀彦は釈明しながら、哲学堂下のマンションで椅子に坐ったまま死んでいた男のことを思いだし、重苦しい気分になった。が、自分が手を下したわけではない。あの被害者が伊吹敏男だったとすると、いずれ警察が事情聴取にくるかもしれない、という漠然とした不安を抱いていたので、聞かれたらそう答えようと思っていたことを、すらすらと述べた。